FC2ブログ

男気!石原裕次郎の巻!!

「太陽に吠えろ」などの代表作で知られる石原プロモーション!


その石原プロにも危機的状況があったそうです。

 …もう何年も満足な給料も払えず、80人を擁した社員は、一人去り、二人去り、残るは12人だけとなった。

 事務所もプレハブ小屋、撮影機材も全部お金に換えた。
 
 
 裕次郎の300坪の成城の豪邸も、抵当に入っている。
 
 
 夫人のまき子さんも、貴金属から洋服まで全部手放し、借金払いに充てていた。

 
 心労から裕次郎は結核になり入院!完全にやりくりがつかなくなっていた…。


 
 裕次郎の片腕、当時石原プロ社長の樋泉(ひいずみ)さんは、声を出して泣いた。


 「俺は死ぬのは怖くない、でも裕次郎の顔に泥を塗ってしまうのが死ぬよりつらい」
 

 樋泉社長は、グラスに注がれた酒を一気に飲み干した。 
 

 明後日には3億6千万円の手形の決済がせまっている。
 

 それを聞いたもう一人の盟友、川名さんが「裕さんにテレビCMに出るように説得できないだろうか」そう呟いた。

 根っから映画屋の裕次郎をテレビCMに出す。(それは、命がけの説得だった)
 
 
 翌日、樋泉の命がけの説得に、裕次郎はOKを出す…。
 
 
 樋泉と川名は、その足で東京駅に向かい新幹線に飛び乗り、宝酒造㈱の大宮社長に会いに行った。

 
 社長の大宮の姿を見るなり、樋泉と川名は社長室でいきなり土下座した。

 
 「御社のCMに裕次郎を是非出演させて下さい。つきましては、その出演料3億6千万円の本日の支払いをお願い致します。」やぶから棒の話です。
 

 「無礼者!!」と怒鳴られ、放り出されても仕方がない振る舞いです。


 しかし、社長の大宮は苦労人!樋泉たちの必死の姿に、心を動かされるものを感じていました。
 
 
 当時の3億6千万円といえば、現在の20億に匹敵する大金です。

 
 その金を即答していますぐに出せは、いかにも無理難題です。


 その頃の宝酒造の経営状態も、必ずしも順調なものではありませんでした。
 

 大宮社長は、ジッと腕を組んだまま天井を見上げ、5分が経ちました…。
 
 
 

 「分かりました。お金は出させて頂きます。」
 

 樋泉と川名の膝が、ガクガクと震えて止まらなくなった。


 大宮は経理部長を呼ぶと、目の前で小切手を切るように指示した。


 樋泉と川名はたまらず抱き合って男泣きに泣いた。


 「樋泉さん、これで生きれるね、死ななくていいんだね」


 「ありがとう、ありがとう」傍で大宮社長も、もらい泣きをして泣いてくれていました…。
 

 2週間後、裕次郎が台本を書いて盟友宇野重吉と競演した「裕次郎、人生とは…」「飲むことよ!」のあの名シーンを生んだCM撮影が行われました。

 (20代の方は、分からないかも(^_^;))
 

 そしてそのCMが流され、大変な人気を呼ぶこととなりました。

 この成功により宝酒造の「慶びの酒、松竹梅」は慶祝贈答酒部門の№1の地位を獲得、今日の宝酒造発展の礎となったそうです。
 

 
 大宮社長の、命を懸けた必死な人間への優しい思いやりの心が人を生かし、また自らも生きる道を開いたのですね…。(出典muranisiブログ)
 

 今では御祝いごとで使われるのが、当たり前になっている「松竹梅」にまつわる本物の男達の物語に感動しますね。